はじめに | 01

冷凍の歴史

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はじめに

私たちは日常、「冷却」や「冷凍」の恩恵に預かり生活しています。例えば、夏を涼しく快適に過ごすためのエアコン、おやつには冷蔵庫からアイスクリーム、お弁当のおかずにプラス一品の冷凍食品。これらは全て冷凍機が一般的に使われるようになったことから身近なものとなりました。では冷凍機が出来る前はどうしていたのでしょうか?
ここでは冷却・冷凍の歴史を紐解いてみましょう。

古代における天然氷の利用

日本を含む世界の国々の冷凍の歴史は、天然氷雪の利用に始まっています。寒い時期に温まりたいならば、火を起して暖を取ることが出来ましたが、暑い時期に涼を得ることは大変に難しいことでした。そこで古代の人々は雪や氷を天からの授かりものとして大切に取り扱い、これを重宝がって利用してきました。日本での天然氷の利用に関する最も古い文献は日本書紀とされています。仁徳62年(AD300年ごろ)に宮中の人々が大和国(現在の奈良県)に狩りにでかけたとき、山の麓に気になる窟があるのを見つけました。その地の有力者に尋ねたところ、冬季に採取した氷を貯蔵する氷室(ヒムロ)であることがわかりました。この氷を持ち帰って仁徳天皇に献上したと記録されています。
それ以後、その地では毎年12月ごろになると氷を氷室に貯蔵しておき、4月~9月まで朝廷の用に供するようになりました。さらに、6月1日は献氷の日とされ、文武百官を宮中に召して氷を賜りました。これが“賜氷節の儀”の始まりとされています。現在でも、製氷業に関連する人々には6月1日は特別な記念日とされ、日本各地でイベントが開催されています。

明治初期の天然氷

その後、江戸時代に加賀藩が幕府に献氷したとの記録はあるものの、氷の利用はほそぼそと行われる程度でした。その後、天然氷が一般化するのは明治維新の後、1870年ごろです。
横浜に住む中川嘉兵衛は、居留地の外人相手に牛肉商を営み、東京の外国公館にも出入りしていました。交通の不便な当時、横浜から東京まで精肉を運ぶのは容易なことではなく、時には肉を腐らせてしまうことさえありました。これを解決するために天然氷の利用を思い立ったのが天然氷事業のはじまりと言われています。
中川は、1864年に横浜元町に貯氷庫を作り、関東近郊から東北へと良質な氷を探し求め、6年後の1869年ようやく函館五稜郭に大量の良質氷を求めることが出来ました。寒冷の地で生産される氷は氷質が大変に堅硬で、のちに“函館氷”として一世を風靡することとなります。
この函館氷の成功に刺激され、関東近県・関西で採氷業者が増加し、天然氷の全盛時代を迎えます。主に肉や魚などの鮮度を保ったまま運ぶ、そういった用途に使われていました。干物(乾燥)や塩漬け(塩蔵)以外の方法で食品を保管する第三の方法が天然氷による貯蔵であったわけです。

天然氷から冷凍機の時代へ

天然氷ビジネスが日本で始まった1873年頃、ドイツのミュンヘン工業学校の教授リンデはビール醸造メーカーとともに冷凍機の開発を進め商品化しました。当時のヨーロッパのビールは、発酵温度が高い、すなわち冷凍技術がなくても醸造できる上面発酵ビールが主流でした。しかし、スッキリした飲み口のラガータイプのビール、こちらは下面発酵と呼ばれる発酵温度の低いものです。これを年間を通じて製造したいというニーズがありましたが、当時は寒い時期にしか醸造することが出来ませんでした。それを解決するために生まれたのが冷凍機でありました。

難しくいうと、現在、家庭用のエアコン、冷蔵庫、食品工場の冷凍機などで最も一般的に使われている“蒸気圧縮式冷凍サイクル”という方式の冷凍機が開発されたのでした。このリンデの開発は、“冷媒”にアンモニアを用いた「アンモニア式冷凍機」であり、現代もその基本原理は変わらずに活用されています。
現代社会の快適な生活はもとをただせば、“おいしいビールが飲みたい!” そんなニーズから生まれた技術革新だったのです。
それでは冷却・冷凍の仕組みと冷凍機の仕組みについて探ってみましょう。