フード・バリュー・ネットワーク | 03

食文化の成り立ちと食育による和食遺産の継承

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食文化は命のプラットフォーム

人類が文化を創ってきた源泉は「命」のプラットフォームの維持と、至高の愛で満たされた生活環境への切望である。この様な願望の中で、日本の食文化は日常のほぼ安定した食生活として習慣化している現状にある。他方、高等哺乳類、つまり牛や馬の赤ちゃんは出産後の短時間に歩行や摂食による自活が可能であり、人類と比較して個体と種族保存のための本能行動が生育環境の「現実」と一致している。しかし、人類の新生児は動物が生得的に保有している本能を有していないために、無能力状態で生まれて自活できるまでに大人の保護を必要とする。そこで人は生涯にわたって動物の本能に代わる精神的安定感を探しながら生存する必要がある。したがって、居住地域の文化の中に形成されている共同幻想(※1)に帰属することにより自己のアイデンティティーを確認しながら精神的安定を獲得する必要がある。例えば、消費者の購買意欲を高めるために、美味しさの情動を刺激して摂食行動を誘起させる多様なビジネスモデルが提唱されている。

※1:共同幻想:特定の地域や文化の環境下で育ったヒト個人の心に形成される心理は「私的幻想」であり、この心理が集団で共有されている部分を「共同幻想」または「集団幻想」と称している。
岸田 秀:ものぐさ精神分析、 中央公論新社 (1982)

人類は脊椎動物の中で食べ物を奪い合う類人猿とは異なり、食べ物を交換する能力を有している。また、その能力は地域・国・民族としての文化の形成に根源的役割を果たしてきた。さらに、人類にとって文化形成の主要因は、自らのアイデンティティーを確立して精神的安定感を得ながら快適に生活する欲望を保有していることにある。つまり食生活は心に安心感を保ちながら生活に快適感、つまり「アメニティー」をもたらす基盤でもあり、日本の食文化に所属している消費者は、調理方法や美味しさの差異を区別するために、「中華」、「フランス」、「日本」などと称される料理の呼称を創っている。

ブランディング技法開発の重要性

飽食の時代と称されて久しい我が国の食市場では、自社商品の優位性を継続的に維持していくために多様なマーケティング活動が展開されている。これらの中で重要視されながら成功する確率の低い課題は、商品の差別化、つまり「ブランディング」である。その目的は同一カテゴリーの商品群の中で差別化を図れるブランド商品を創造して継続的に育成していくことにある。しかし、氾濫する視聴覚情報に曝されている消費者の購買意欲は常に変動しており、この状況に対応するブランディングの方法もマーケターのセンスと経験に頼らざるを得ない現状にある。このように、ブランディング技法の開発が重要視される主な理由は、ブランディングに失敗すると市場における自社商品のコモディティ化、すなわち消費者の購買意欲を喚起しない商品化が進行し、残された唯一の差別化要因である価格による熾烈な競争を強いられるからである。従って、消費者の欲求を満足させるブランディングの方法論を確立することは緊急な課題としてクローズアップされている。

これらのニーズに対応して、筆者らは消費者を起点とする科学技術 (COST: Consumer Oriented Science and Technology) を創出するための新しい研究分野として「食感性工学」を提唱してきた。実用技術開発の領域では、「食嗜好は食に遭遇したヒトの五感コミュケーションにより形成され、その育成プロセスで感性との融合が進展する」というコンセプトを基盤とした「食感性モデル」を提唱した。このモデルは食製品の品質評価や設計、市場調査や機器計測で得られるビッグデータと官能評価スコアをデータベースとする解析法、製造プロセスの最適制御およびブランディングに貢献する包装容器の設計技法などに適用している。

このような食文化形成の背景には、食文化に形成されている共同幻想に私的幻想を帰属させることにより、安心して子供に食べ物を分配して養育する能力を必要とした。つまり他の集団と協業する「共同性」を育成する必要があった。このために、イスラム教では食べられる食生活を神に感謝して、一ヶ月間日照が続いている昼間に摂食しない「ラマダン」の期間や豚肉などを食べてはいけないタブー「ハラル」なども厳格に守られている。また、食べ物の交換や取引を容易にするために、人が集まれる市場や街路などで食材や料理を展示する「公開性」や共同生活が発生して協カ・抑制・同調・葛藤などの心理が「社会性」として醸成される。したがって、ヒト個人の購買意欲などは、五感コミュニケーション機能を基盤とする情動、直感、感性などと称されている挙動により「人格や性格」としてお互いに認知し合っている。

社会性を司る「感性」形成の主要因

そこで、これらの社会性育成の主要な要因を考えて下記に列挙してみた。

  • 1) 人と類人猿は消化能力が低いために、高栄養食品を探し歩き、子供を安定的に効率良く育てる必要があった。
  • 2) 人のライフスタイルの中で、未熟で自立していない子供を早く離乳させようとし、共同保育の必要性が生じた。
  • 3) 子供の体力や能力強化の過程で上述した傾向は強化され、「文化形成」の肝要な駆動力となった。すなわち共同生活を通じて子供の社会性を育成する文化が必要不可欠となった。ちなみに、0~4歳の間、食物エネルギーの40~60%は脳の育成に消費され、6歳になると乳歯から永久歯への変換準備が始まり、この期間には高栄養離乳食が必要とされる。

これらの社会性育成の要因から推察すると、人の社会性は主に乳幼児期から学童期に形成され、食生活を通じた健全な人格、ひいては文化形成の基盤となっていることが分かる。したがって、この時期の子育ての担い手は、学童期までの子供を育てている両親と家族、両親の血縁家族、地域社会環境にあり、特に、両親の「食育」教師としての資質が問われることになる。

食育基本法制定の背景

2013(平成25)年、和食は無形文化遺産として登録されたが、2005年には「食育を通じた人間教育」を目的とする「食育基本法」が制定され、翌年からは5年間にわたる「食育推進基本計画」が施行された。この基本法により、戦後の学校教育の3本柱であった知育・徳育・体育に「食育」が導入された。これらの制定に努力された服部栄養学校長は食生活の問題点が「こ食」にあると指摘されている。この「こ」の部分が食生活を改善する諸課題でもあり、以下のように食育を推進する背景としてその問題点を解説された。

(1) 孤食

高度経済成長を担う両親の社会進出により核家族化が進行し、また学童や若年層では受験戦争の激化による塾通いが日常化し、彼らはコンビニで食べ物を購入して一人で食べることになった。孤食の進展は食材の生産現場と消費の現場を隔離し、食のコミュニケーションが阻害され、他方では言語によるコミュニケーションが肥大した。このために、携帯電話、インターネットなどのコミュニケーション手段が発達してきたが、人格形成に最も大切な「感情」のコミュニケーションが希薄となっている。

(2) 個食(各人が別のものを食べる)

家族が同じ食卓に集っていても、食べているものが異なり、偏食が醸成された。このような食卓では、食べ物に対する共通認識が欠如し、食事のマナーや躾が不可能となっている。例えば、朝食の年間回数は365回であり、これに昼食と夕食を加えると1,095回になるが、現在、食卓を囲む平均回数は50~200回に減少していると推定されている。これに対し学校給食の回数は約180回であり、圧倒的に食コミュニケーションと箸の使用法などの躾の機会が失われている。また、0~3歳(離乳期)の子供には親とのスキンシップが、3~8歳(人格形成期)には親子が食卓を囲む回数の確保が大切である。さらに7~20歳(骨密度向上時期)には、親の栄養バランスに関する配慮が必要とされている。

(3)小食(女子の容姿に対する過敏な反応)

多様な情報メディアに登場する女優やモデルの体型を理想とするいわゆるダイエットの過剰な進展は母体形成に悪影響を及ぼし、また、食事制限を補おうとするサプリメントの多用が栄養バランスの欠如を招いている。成長期は思春期でもあり、身長と体重の増加は乳児期に次いで大きい。また、この時期は第二次成長期を迎える時期でもあり、身体の急激な変化に精神的成長が追いつかず、身体と精神のアンバランスが生じやすい。この時期には成長に必要な栄養に加えてビタミンやカルシウムの摂取に努める必要があるが、20代の女性の22.6%がBMI(※2)の値で18.5以下の低体重であり、同世代の男性に比べて痩せすぎにあると判定されている。ちなみに、BMIの正常値は18.5~24.9の範囲にある。

※2 BMI:Body Mass Index(kg-体重/m2-身長)

(4) 粉食(食の西洋化)

米の消費量は1962年、すなわち東京オリンピック開催の2年前にピークを迎え(総生産量:1,341万トン、一人当たりの消費量:118.3kg)、急速な食の西洋化が進行した。すなわち、質的にはデンプン質からタンパク質摂取への変化が始まり、「パン食」が主食としての地位を確保し、さらに飽食の時代を迎えた。この変化のパターンは、先進国でも共通しており、米国などでは肥満による多様な生活習慣病、つまり国民病を招いている。

和食文化を継承する食育の3本柱

「食育推進基本計画」には、これらの問題点に対処する食育の3本柱と指導方法の具体例が次のように紹介されている。

1) 選食能力の育成

味覚をはじめとする能力は学習により発達するため、五感を刺激する農業や料理の体験学習を導入して、日本食20品を作れる人材を育成すると共に、農業の体験学習により「コントロールが困難な対象を育てる難しさ」を経験させ、食材の生産と利用の現場とのレシピ・ブリッジを創生する。

2) 品格の形成(躾)の復活

先生を尊敬しますか?という問いに対する「はい」の回答率は北京の80.3%など、諸外国ではおおむね80%以上であるが、日本では21%の低さである。ちなみに、OECD(経済協力開発機構)は50%以下になると国家としての存続が危うくなると指摘していることなどを紹介する。

3) グローバルな視点の育成

食料・エネルギー・人ロ・環境問題などに関する関心、知識欲の育成、たとえば、日本の食料自給率はカロリーベースで40%を下回る情況にあるが、他の国の戦後の自給率変化の推移は英国で46%から77%へ、同じく敗戦国のドイツでも68%から92%へ増大しているが、日本では73%から40%へ減少した。また、食の洋食化に必要な飼料としての穀物は、トウモロコシに換算して牛の体重の10倍、豚の8倍、鳥の1.6倍となっているなどの知識を通じ、ケニアの環境大臣ワンガリ・マータイ女史の「もったいない」運動、すなわち、食のReuse, Reduce, Recycle運動などを紹介する。

和食文化の揺らぎと食育の役割

現在、人・情報・体験などのグローバルな交流により、「快感」を追求した無国籍の「創作料理」や日本食の「健康なイメージと形式」を模倣しながら、自らが居住している地域の食文化や食嗜好にマッチさせた「カップラーメン」、「フライドチキン」、「ハンバーガー」、「寿司」などが世界中でもてはやされている。つまり、WHO(世界保健機関)が1956年に提唱した65歳以上の高齢者には、和食文化のシンボルからイメージされる食べ物や調理法とはかけ離れた奇妙とも思われる「グローバルな食」が世界市場に出現している現状にある。このことは、異文化との融合が進展している証左であるし、文化面における「海外ドラマ」のファン数の増加と食生活における輸入食材の日常的消費に象徴されている。

このように、日本を含む飽食にある先進国では、食の基盤も異文化交流の影響を免れず、その目的も「生命の維持」から「快感の追求」へと変化している。つまり、この様な現況は「食」のホビー化・ゲーム化が進展しつつあるテレビの「美味しさ」評価番組などの氾濫状態と視聴率の高さに象徴されている。これまで述べたように、日本の伝統的食文化は異文化とのグローバルな交流により揺らいでいて、国民の健全な食生活の崩壊によるアイデンティティーの稀薄化に伴うヒトの社会性喪失などの問題が顕在化している。食生活は我が国の文化を形成する基盤であり、学童を取り巻く「食育」の重要性が認識されている。しかし,食育を効果的に推進するためには、学校給食と共に両親と家族、さらにこの家族が生活している地域に居住している高齢者に至る関係者が子供に提供する日常的体験学習が不可欠である。すなわち、食育は子供から高齢者までを含む地域社会全体の啓蒙活動として推進することが肝要である。