フード・バリュー・ネットワーク | 01
イタリアの美食街道を比べて食の価値を考える
2019年8月9日
グローバルな視点から食の価値を考える
我々は地球上の何処にいても、食べなければ生きていけないし、できれば「美味しい」食べ物にあやかりたいと望んでいる。また、海外旅行に出かける日本人の関心はバラエティーに富んでいるが、思いつくままに列挙してみる。例えば、自然の景観、古代の遺跡や文化財、宗教の歴史を描いた絵画や彫刻、パリやニューヨークで男性にも引けをとらないキャリアーウーマンの生き様、オリンピックやサッカーなどの多様なスポーツ、レーシング・カーで競われるレーサーと技術サポートチームの勝敗、パリやシンガポールのブランド商品、米国のラスベガスに代表されるカジノとエンタテインメント、さらにはタンザニアやマダカスカル島の奇妙な植物や野生動物の生態などと多彩である。もちろん、これらの関心事は渡航者の嗜好や感性などにより鑑賞派や体験派に分かれるが、これらは個人の価値観によりランキングされ、グルーピングされる。
国内で美味しいラーメンを探し歩いている「食いしん坊」は、イタリアン・パスタ、中国・西安地方の刀削麺、タイの激辛トムヤンクンなどにも食指を向けていると連想される。他方、これらの単品料理に比べて、韓国の焼き肉コース料理では、食肉の最適な焼具合に適した新鮮な野菜やキムチと酒類を選んで「口腔内小宇宙」をリフレッシュし、コースの終わりには食卓を囲む人々がデザートを食べながら地域特産物の「美味しさ」を賞賛して締めくくるように工夫されている。さらに、我が国ではこれらの調理に最も優れた料理人を、それぞれフレンチ・イタリアン・中華の「鉄人」と称してランキングしている。しかし、それぞれの国に居住している人々にとって、日常の食生活で高価なコース料理を堪能出来るほどの余裕はあり得ない。例えば、フランスの庶民は、毎朝4時頃に開店する馴染みのパン屋にならび、昼食は町角の料理店カウンターで会話を楽しみ、仕事を終えた夕刻には、自宅の最寄り駅に近いスーパーマーケットや総菜屋に立ち寄って、調理済食品や店舗内のショウケースやザル容器上に積んであるボトルワインを選んで自宅に急ぐ。このような食生活は「文化国家」を自認している西欧や日本で観られる典型例である。
食の価値を測るスケールの構造と機能
グローバルな「食の価値 (Food Value)」に観点を移すと、極めて深刻な事態に直面する。特にアフリカでは、飢餓状態に喘いで命の危機にさらされている子供達や、内戦やテロの脅威から逃れて移住した難民キャンプなどへの国際食糧援助などが緊急な課題となっている。このように、フード・バリューは、人の生存を確保する極限状態から美味しく贅沢な宮廷フルコースまで、ヒト個人やグループが置かれている状況に依って幅広いスケールで振幅している。サイエンスは多様な現実の証拠を積み重ねて分析しながらストーリーにして真実を追求する役割を担っているが、ストーリー探索の過程で必須となった工夫を技術へと発展させてきた。したがって、食の価値を測るスケールには、食材の構造や環境を測る3次元空間に調理や加工に必要な時間軸を加える必要がある。すなわち、食品科学技術分野の研究者は、本人自身が自覚しているかどうかは別にして、ダイナミックに振幅する4次元マトリクス・ネットワークを食の現実に対応させた特定のスケールで評価していることになる。さらに、これまで述べた食の価値をその機能に着目してグルーピングすると、1) ヒトの命を生み育てる最も根源的な機能、2) 国の存続と平和を保障する自主・独立・防衛機能、3) 高齢化社会に対応して、消費者に安全・安心と健全な食生活を届ける機能、4) グローバルな食糧危機を解消する国際協力機能、5) 食の美味しさを向上させてブランド商品を創る研究開発機能, 6) 国産農産物や加工食品を海外市場に輸出するビジネス機能などに分類される。
これらの機能は生命の維持からビジネスに至る範囲を広くカバーしているために、筆者は食の価値を朝日新聞の「天声人語」や西郷隆盛の「敬天愛人」のように表現することを考えて「尊命創生」を提唱している。ヒトはDNAを継承して永遠の命を維持している動植物だけでなく空気や水の存在下で岩塩やミネラルなどを食べている。つまり「命」と「自然」を食べて生息している。そこで、「尊命創生」の意味を簡単に説明すると「唯一無二の命を尊び、価値ある生涯を創れ」となり、食の価値は「命」の基盤からビジネスなどの社会活動プラットフォームを提供している。さらにヒトの命はどこからきたのかを探ってゆくと、最近話題となっている「ブラックホール」などの宇宙物理学やトポロジーと称されている数理科学などを紐解く必要があるので、その説明は別の機会に譲ることにする。本稿では「食はヒトの命」を支える価値を有していることを説明するに留め、「フード・バリュー・ネットワーク」では、グルーピングした食の機能を細分化して副題を掲げ、シリーズとして分かり易く説明する方法を採ることにしている。
イタリアの美食街道から食の価値を探る
イタリアの観光旅行ガイドブックは数多く出版されているが、これらを観るとスイス山麓に連なるイタリア北部地域を東から西に貫く「美食街道」がほぼ例外なく紹介されている。この旅程は美食街道マップに示すように、水の都「ヴェネツィア」を起点とし、西方へ向けてロミオとジュリエット悲恋の古都「ヴェローナ」を経て、「ミラノ」に至るコースである。イタリアの観光旅行でミラノを外せないのは、教会の食堂に描かれたレオナルド・ダ・ビンチの「最後の晩餐」の存在にあるが、ピザ生地にトマトソースとモッツァレラ・チーズをはさんで揚げた地元の名物「パンツェロッティ」の味も楽しめる。しかし、食の価値からこのコースを評価すると、主要都市でも家族経営規模の小さいレストランがひしめいていて、町の観光スポットを巡りながら手軽に馴染みのイタリア料理を選べる観光優位の鑑賞派用のコースと考えられる。
北イタリアの美食街道マップ
©Copyright2019 株式会社帝国書院
しかし、筆者のように「食」を対象にした科学技術の研究者にとっては、物足りなく感じるコースであることは否めない。そこで、当然食の価値優位の美食街道を紹介したくなる。その街道は、ヴェネツィアの南方サン・マリノに近く、アドリア海に面した漁港「リミニ」から北西にほぼ直線的に伸びてミラノ近くの「ピアチェンツア」に至る海と山を結ぶ「エミリア街道」である。この街道は古代ローマ時代に建造された総延長270km、また、2,000年以上の間、人や物や文化を運び、沿線にある遺跡や文化財で紀元前と現代を結んで歴史を育んでいる。また、「ボローニャ」のスパゲッティ・ボロネーゼ、「モデナ」のバルサミコ酢、「パルマ」の生ハムとチーズ「パルミジャーノ・レッジャーノ」など、イタリア料理に欠かせない地元特産の伝統的食材が生産されている。ちなみに、筆者はエミリア街道の食材製造スポットを視察した体験から、前述した「美食街道」と区別して、この旅程を「食材街道」と称している。
食材街道の価値を造った伝統技術
「ボローニャ」はギルド(同業者組合)が集まって、1088年に設立されたヨーロッパ最古の「ボローニャ大学」をセンターとする学園都市である。住民40万人のうちの8万人、つまり五人に一人が学生であり、この大学はダンテ、ガリレオ、コペルニクスなどの巨匠を輩出している。さらに、父親に連れられた14歳の男児「ヴォルフガング・アマデウス・モーツアルト」が教会の神父に音楽の基本を学んだ逸話は有名である。現在もこの神父の名を冠した「マルティーニ音楽院」で数多くの若者が学んでいる。さて、イタリアのパスタの種類は600以上と想定されているが、この地域に住んでいる母親の教育は、女児の顎が調理台にとどく頃からスパゲッティ麺とボロネーゼソースを和える調理法を教えることに始まる。麺の形は「きしめん」に似て平たいが、切り幅を8mmに揃えた「パリアテッデ」が生麺となる。ソースは北イタリア産のタマネギ、ニンジン、細断セロリなどの野菜に地元産の生ベーコン、牛や豚のミンチ肉などを加えて、牛乳とトマトペーストを注ぎながら煮込んでつくるが、このような調理法はフランスから学んだと伝えられている。いずれにせよ、核家族化がすすんだ現代の日本では考えられないが、この料理の美味しさは嫁入りの貴重な資格となっているそうである。
「モデナ」はエミリア街道の中間点にあり、バルサミコ酢醸造所が点在している。1605年に創業されたイタリア最古の醸造所オーナーは、17代目として伝統的技術を継承している。原料は赤と白のブドウ果汁であるが、この果汁は75℃で12時間煮込んで濃度60%の「モストコスト」と呼ばれる濃縮果汁となり、樽に詰めて味の変化をチェックしながら工場の屋根裏などで最低12年から100年以上かけて熟成される。モストコストが最適な味に熟成されたら、17世紀から桜や栗材などで造られてきた古い樽に詰め替えてバルサミコ酢独特の芳醇な香りを醸し出す製品を創っている。新旧の「樽の詰め替え」は独特の製法でもあり、異なる香りの商品を創るキーポイント作業となっている。また、イタリア語のバルサミコは「素晴らしい香り」という意味であり、この香りは長時間の熟成効果により加熱調理中にも保持され、酸味は程良く弱くなるので豚肉のソテーなどは絶品料理としメニューに紹介されている。
「パルマ」は生ハムの町としての印象が強いが、イタリアのチーズの王様として知られる「パルミジャーノ・レッジャーノ」との産業連環が成り立っている。このチーズは13世紀にベネディクト修道会が巡礼教徒に配るために作り始めた大型のハードタイプで日持ちの良さに特長がある。チーズの製造工程で牛乳から固形分を分離した後に残される「乳清」は豚の飼料として利用されてきた。生ハムは豚の尻肉にニンニクを浸した発泡赤ワインをかけ、これに粗塩と胡椒を塗りこんで5日間で馴染ませ、この肉塊を豚の膀胱で包み込んで、さらに細縄で縛って吊るし、10ヶ月から2年かけて熟成する。こうして造られる最高級生ハムは「クラテッロ」と称される食材になる。クラテッロは、この地域の温度と湿度環境下での製造のみが認められている。また、日本ではスライスした生ハムをそのままメロンなどの果実に乗せて食べる光景が観られるが、クラテッロとトマトピューレを煮込んだ濃厚な「クラテッロ・ソース」を利用したパスタ料理はイタリア料理の真髄としてお勧めである。
エミリア街道は、筆者が「食材街道」と名付けたように、「食」をビジネスとしている民間企業の専門家や科学技術を進展させている研究者にとって貴重な情報と体験を提供してくれる。本稿では、美食街道と食材街道を紹介して食の価値を比較したが、次稿では世界文化遺産に登録されている和食の価値について概説する。
ひとくちサイエンスシリーズ 著者紹介
相良 泰行
さがら やすゆき
東京大学名誉教授
農学博士
(一社)食感性コミュニケーションズ
(FKC)代表理事
農林水産技術会議「知」の集積と活用の場「食品加工流通ビジネス研究開発
プラットフォーム」プロデューサー
ASEAN HQ International Expert
略歴
1972年東京大学大学院農学研究科在学中に東京大学助手に採用。
大学院農学国際専攻助教授・教授を経て、 2009年退職、東京大学名誉教授、(一社)食感性コミュニケーションズ代表理事に就任して現在に至る。
専門分野は農産物ポストハーベスト工学、食品の冷凍・乾燥・品質評価、プラント設計、国際協力コンサルタントなどであるが、新しい科学技術分野として「食感性工学」を提唱している。
受賞歴は国際クリオファルマ凍結乾燥賞、北欧乾燥会議最優秀R&D賞、日本食品工学会学会賞など多数。
趣味はModern Jazz、人と食に関する精神分析など。
著書
最近の著書には「香りと五感」(分担執筆)、フレグランスジャーナル社、2016「製品開発のための 生体情報の計測手法と活用ノウハウ」(分担執筆)、(株)情報機構、2017がある。
連絡先
(一社)食感性コミュニケーションズ(FKC)
〒113-0022 東京都文京区千駄木4-24-7 トーアマンション1階
TEL : 03-5832-9360
E-mail : manager@foodkansei.or.jp